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2007.09.20

夢の逃避行

タイトルの言葉、もう死語ですよね。でも今から20年前の今日はまさにそんな感じでした。

今年のように9月に入っても蒸し暑い日が続いていた1987年の9月、私は一浪の身で、個人経営ですが、優秀で非常に暖かい先生の指導で評判の、小さな予備校と家を往復する日々を送っていました。当時はパソコンなど高嶺の花、ネットも当然ありません。暇つぶしのための懐の余裕なんぞない身分ですから、本当にそこそこ真面目に浪人生活を送っていました。

が、6月のおニャン子クラブ解散宣言、そして8月の夕やけニャンニャン終了と、私にとっては衝撃的な出来事が相次ぎ、心神喪失状態と言っても過言ではないくらい、抜け殻状態で、勉強の成果は全く見られませんでした。が、一筋の灯りを頼りになんとか頑張っていました。

一筋の灯り、それはおニャン子クラブのファイナルコンサートに東京まで行くことです。

当時、既に引っ越してバラバラだったのですが、小学4年生頃まで同じ一角の家に住んでいた幼馴染(当時、21歳・20歳・私19歳)の3人組が半年ほど前から、おニャン子をきっかけに遊ぶようになり、そしてそれを極めたのが、親バレしないように内緒で東京までファイナルコンサートを見に行くことでした。今、思えば、頼むから行かせてくれって言えばよかったんですけどね。一応、予備校の友達の家に遊びがてら勉強がてら泊りに行く、ということで家を出ました。

9月19日の夜10時半頃、神戸の須磨を出発、阪神高速から名神高速、そして東名高速へと車を走らせました。車は当時全盛だった赤のファミリア、フェンダーミラーをこれまたドアミラーに変えるという、定番中の定番です。今から20年前の車ですから、下り坂でアクセルべた踏みで180キロが出るには出るけど、かなりコワい車です。車中のBGMは勿論全ておニャン子。途中、いくつかのSAで休憩を取り、9月20日の夜明け頃に海老名SAに到着。東京を目前に仮眠を取りました。

仮眠後、用賀ICを降り、遂に都心へ。コンサートのある国立代々木競技場第一体育館の近く、渋谷の宮下公園の駐車場に車を止めて、またまた仮眠です。当時は1日最大1000円、みたいな料金設定の駐車場なんてありませんし、場所が場所なので、帰るときに車を出すまでの駐車料金が1万円!くらいだったと思います。高速の片道料金ぐらいかかっていました・・・。

ここで私は別行動に出ます。高2・高3と付き合っていた彼女が東京に引っ越していたので、超定番ですが、渋谷ハチ公前で待ち合わせ。記憶が定かではないのですが、昼ごはんでステーキを食べたかと思います。目的が彼女ではなく、おニャン子ということで完全に呆れられていましたが、それなりに楽しく過ごせました。別れ際に「コンサート楽しんできてね」といって大きく手を振って別れたのが、とても印象に残っています。私なりの淡い思い出です。

と、わたしがデートなんかしてる間も、他の2人は近くをブラブラ、車中で仮眠をしておりましたが、いよいよコンサートへ向かいます。残念ながらチケットの都合で、2人は9月20日の昼の部、1人は夜の本当のファイナル、と分かれてしまい、私も昼の部を見ることになりました。

今年と同じく、9月も下旬というのに、夏のような日差しと蒸し暑さ。開演2時間前というのに、会場周辺は凄い人です。炎天下、待ちました。そして入場、開演。実は地元関西で8月18日19日20日とファイナルツアーがあり、すでに5回も見ていたのですが、本当のファイナルは構成が全く違います。時間は倍近く、オールキャストの超豪華モノでした。物凄い盛り上がりで、鳥肌モノの感動。一生の思い出になりました。本当のファイナルは後日LDで完全にコンサート全編を収録したものが出ましたので、こちらでじっくり見ました。というか、いまだに見ていますw

本当のファイナルに参加した1人を待ち、帰路へとつくのですが、渋谷の宮下公園の駐車場で、車を用意してくれた幼馴染が友人とバッタリ会いました。白のシティターボ・ブルドッグをかっ飛ばしてこれまた関西から登場です。目的まで同じという偶然にちょっと感動です。

翌21日、また蒸し暑い日でした。昼頃、自宅に戻り、シャワーで汗を流してから、予備校へと向かいました。何事もなかったように装い、でも心は充実して。

この直後から、なぜか成績が急上昇。二浪覚悟でしたが、偏差が15以上も跳ね上がり、人並みの大学に無事合格できました。気持ちが吹っ切れて、集中力が高まったのかな?と思います。それでも入試までの間もおニャン子関係のコンサートやイベントには行ってましたよ~。懲りずに。

と殴り書きのように文章を打ちましたが、この3日間のことだけで、本1冊書けるくらいの思い出や思い入れがあります。一生、忘れることのない、夢の逃避行です。あれから20年も経ちましたが、あの3日間を超える日は1日もなかったです。

20年目の今日、また有志が日比谷野音に集結します。今まで1度も参加していないので、行きたかったのですが、家庭持ちのサラリーマンには難しいですね・・・。でも死ぬまでに1度でいいから、一度行きたいです。今日行く皆さんは思う存分に汗を流し、声をからして盛り上がってください。

おニャン子クラブ万歳

※今回は戯言ですので、スルーしてください。想いが文章に出来ないです・・・。

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コメント

はじめまして、Khaseさん。
ご感想いただき、ありがとうございます。

あれほど何かに一生懸命になったことは他にありません。だからこそ最高に楽しかったんでしょうね。私も戻してもらえるのなら、1987年を選ぶかな?もっと贅沢に、おニャン子誕生の1985年っていうかも。

Khaseさんがテレビで見ていたファイナルコンサートに私は参加していました。1987年から20年を経て、同じ時間を共有した方とつながって感無量です。

暇で暇で死にそうになったら、暇つぶしでまた覗きに来てくださいね。

投稿: redeem | 2007.09.30 10:14

こんにちは。khase と申します。

印象的なタイトルと空高い青空の壁紙が目を惹き、ページを拝見させていただきました。

スルーせずに申し訳ございません。

日記の内容も共感できる部分が多くて少し驚いています。khase が 7、8 年前に作成していた HP の壁紙も空高い青空でした。

khase も 1987 年の夏はとても暑かったことを覚えています。

当時は中学 2 年でした。部活があったために 9/20 は自宅のテレビで応援していました。(ファイナルコンサート、フジテレビで生放送していました。)

あれから 20 年が経ちましたが、もし何処かの夏に戻れるとしたら 1987 年を選ぶかもしれません。

ファンにとってはとても辛い季節でもありましたが、そんな中、解散することが夢であってほしいと本気で考えたり、今考えるととても一生懸命だったことを思い出しました。

投稿: khase | 2007.09.26 23:17

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